じいじ便り・・。7月16日(月)(タイ語ワン ヂャン)
2007年 07月 16日
◎この頃と天気・・・。
今日(7月13日)は、朝から蒸し暑い。雲は厚いが、所々青空も見える。
風が吹かないのか、只、汗がじとじととでる。タイ人はこんな時でも汗を
掻かない。
ゴルフ場のキャディは、殆ど汗を掻かないが中には少人数ながら汗を掻く
キャディもいる。
日本人の様にこんな暑いなかでは、汗を掻くのは普通の事だ。
汗を掻かないタイ人はどうなっているか、不思議で私には判らない。
多分、毛穴が開き過ぎて体内に体温が篭らないのだろう。
こんな時期でも街の中の若者(男、女)の中には、厚ての長袖ジャンバー着るタイ人も
いる。
午後3時過ぎにドイの山に厚い黒い雲が山頂に掛かったら、その雲が霧の様になって
山の下にどんどん下りてくる。 カーテンの様になり下りて来る、あの霧は雨だ。
霧が此方に向かって来るのが目で良く判る。
ものの30分も過ぎない内に、雨が降りだした。
音をたてて降つた雨も1時間程で降り止んだ。この時間に降る雨が一番好きな雨だ。
案の定、夕方は、大変涼しくなって気持ちの良い夕方を向かえる。
夕食を食べにタイ食堂のワラン店に行ったら、早速、サバイ、サバイ(気持が良い)と
言って向えてくれた。
夕方に雨が降るとタイ食堂は、一辺に客足が落ちる。店に取ってはサバイ、サバイとは
言っておられない。
夕方、強く降る夕立があった夜には『カエル』が、鳴く、鳴く朝方まで鳴き続ける。
ところが朝方、太陽が出かけて朝日が昇り始めると、ピタッと言って良いほど鳴き
止む。
時々、私の様な少し偏屈な『カエル』が、一匹、二匹止めれば良いのに鳴き続けて
いる。
その声も直ぐに聞えなくなって、次に鳥の鳴き声へと自然に変っていく。
◎ミャンマー(ビルマ)料理の食堂と、ソムタム(タイ代表の野菜サラダ)屋台・・・。
タイ食堂のワランさんの隣が不動産屋で、その隣がタイ食堂のパンさんの店。
その隣の横にミャンマー料理の食堂がある。この前も書いたが小さな食堂ばかりだ。
タイ人の胃袋を毎日毎日満たす為には、此れ位の食堂が多数軒ないと満たす事は
出来ないだろう。
ミャンマー料理は、この辺では此処位でチェンマイ市内でも今までに聞いた事がない。
ファラン(西欧人)も、時々、ビルマ料理の店は何処かと案内地図を持つて訪ねてくる。
何故、ミャンマー料理を売り物にしているのかは私は判る気がする。
北部タイとミャンマー人との結びつきは、古く昔から歴史上も深い付合いが有る。
歴史の話は今日は書かなく、またの機会に書く事にする。
北部タイの労働(下働きをする。)を、補うのはミャンマー人だと聞く。
バンコク方面の労働を補うのは、タイ東北部のイサンからの出稼ぎに来たタイ人と
聞いた事がある。
私達が利用しているタイ店の料理を作ったり下作業等の下働きをする人達は、
ほとんどミャンマー人が働いている。
ワランさんの店は、一人がタイ人で他はミヤンマー人だ。パンさん、ペットさんの店も
みんな下働きは同じだ。
ワランさんは店の前を歩いて行く人の人相だけで、その人の近隣諸国の国の名前を
言う。
日本人が中国人、韓国人、日本人と見分ける事が出来るのと同じ事のようだ。
最近は工事現場の飯場が多数出来て、そこで働いている作業者は、皆ミヤンマー人と
言う。
この近所だけでも、どれだけのミャンマー人がいるかミャンマー料理店も必要になる。
ミャンマー料理は基本的には、中国料理とインド料理の一大食文化圏だ。
それは、タイ料理も同じ事で全てが良く似ている。
只、此処で作られるミャンマー料理が本当か、どうかは小民族が多数、色々な宗教が
絡み使用素材も使うものが強制される。 ここの料理もそんな事を考慮して作られる。
そこの経営者が、どんな人かでミャンマー料理も作るものが変わってくる。
タイ料理もそんな事から作られている。
看板の上の丸文字は、ミャンマー語で書いてある。ミャンマー語は、日本と語順が
同じで馴染み易いそうだ。タイ文字とは、全然違う書体だ。
店の前に屋台が写って要るが、ソムタム(辛い野菜サラダ)屋台で他の店の前に
来て普通に商売をする。
普通に商売をするのでそんなところは日本人の私は理解できない。
ソムタムも色々な種類が有るが、川蟹の入ったものは日本人は食べない方が良い。
一緒に食べても日本人の中には、体に合わず下痢をする人が、必ずと要っていい程
でる。
◎夕飯は『日本のてんぷら』・・・。
この頃、栄子がタイ料理が鼻に付いて来てタイ料理に腰が引けつつある。
タイ食の場合は、タイ独特の料理方法からか、油と香草が混じっているからか、鼻に
つきタイ料理から離れたくなっている。
タイ料理は豚、鶏、海老とトッピングの主材料は変わるが、作る方法には変わりがなく
同じような物になり、朝、昼、夕食とタイ料理を食べるには重いものが有るようだ。
私の場合は何の抵抗もなく約四年、苦にもせずに食べ続けて今からも気にもならない。
そんな事から栄子は朝、昼はワランさんの店には行かず夜だけ食べ行く事にしている。
最近は夕食の時に自分の食べたいオカズを自宅で作り、夕飯の時にワラン店に持ち
込む。
ワランさん親子も、栄子が作って来てくれる日本料理が食べられて大喜びだ。
この日は、朝からリンピンスーパー(日本食材が置いてあるスーパー。)へ行き、
天麩羅にする材料を買いに行く。
レンコン、ごぼう、茄子、ピーマン、人参、さつま芋、海老と一通りの買い物になる。
昼から仕込みに入り夕方から揚げるようになる。
小麦粉に下味のカレー粉を入れて焼酎を少し入れてカラッと揚げる。
自宅の夕方の台所は、夕飯に間に合わすので大忙しだ。
幾種類もの天麩羅が出来上がる。
日本もタイも同じで女性は、さつま芋の天麩羅が大好きだ。
カレー味の天麩羅がワラン家族は大好きで日本のポン酢味で食べると、ワランさん
家族の箸は止まる事を知らない。
アッと言う間に皆の胃袋の中に入る。近所のモンさんも横から箸を出してくる。
ワランさんの旦那のニンプさんは、ワサビがないかと言ってくる。
ニンプさんは、ワサビが大好きで日本料理には、みんなワサビを付けたがる。
栄子もみんなが美味しい、美味しいと言って食べてくれて、夕飯に日本料理の
天麩羅がみんなと一緒に食べられて、今日はタイ食を食べずにすんで、
ホッと一息する夕飯だ。
ー今日は、この辺で。
今日(7月13日)は、朝から蒸し暑い。雲は厚いが、所々青空も見える。
風が吹かないのか、只、汗がじとじととでる。タイ人はこんな時でも汗を
掻かない。
ゴルフ場のキャディは、殆ど汗を掻かないが中には少人数ながら汗を掻く
キャディもいる。
日本人の様にこんな暑いなかでは、汗を掻くのは普通の事だ。
汗を掻かないタイ人はどうなっているか、不思議で私には判らない。
多分、毛穴が開き過ぎて体内に体温が篭らないのだろう。
こんな時期でも街の中の若者(男、女)の中には、厚ての長袖ジャンバー着るタイ人も
いる。
午後3時過ぎにドイの山に厚い黒い雲が山頂に掛かったら、その雲が霧の様になって
山の下にどんどん下りてくる。 カーテンの様になり下りて来る、あの霧は雨だ。
霧が此方に向かって来るのが目で良く判る。
ものの30分も過ぎない内に、雨が降りだした。
音をたてて降つた雨も1時間程で降り止んだ。この時間に降る雨が一番好きな雨だ。
案の定、夕方は、大変涼しくなって気持ちの良い夕方を向かえる。
夕食を食べにタイ食堂のワラン店に行ったら、早速、サバイ、サバイ(気持が良い)と
言って向えてくれた。
夕方に雨が降るとタイ食堂は、一辺に客足が落ちる。店に取ってはサバイ、サバイとは
言っておられない。
夕方、強く降る夕立があった夜には『カエル』が、鳴く、鳴く朝方まで鳴き続ける。
ところが朝方、太陽が出かけて朝日が昇り始めると、ピタッと言って良いほど鳴き
止む。
時々、私の様な少し偏屈な『カエル』が、一匹、二匹止めれば良いのに鳴き続けて
いる。
その声も直ぐに聞えなくなって、次に鳥の鳴き声へと自然に変っていく。
◎ミャンマー(ビルマ)料理の食堂と、ソムタム(タイ代表の野菜サラダ)屋台・・・。
タイ食堂のワランさんの隣が不動産屋で、その隣がタイ食堂のパンさんの店。
その隣の横にミャンマー料理の食堂がある。この前も書いたが小さな食堂ばかりだ。
タイ人の胃袋を毎日毎日満たす為には、此れ位の食堂が多数軒ないと満たす事は
出来ないだろう。
ミャンマー料理は、この辺では此処位でチェンマイ市内でも今までに聞いた事がない。
ファラン(西欧人)も、時々、ビルマ料理の店は何処かと案内地図を持つて訪ねてくる。
何故、ミャンマー料理を売り物にしているのかは私は判る気がする。
北部タイとミャンマー人との結びつきは、古く昔から歴史上も深い付合いが有る。
歴史の話は今日は書かなく、またの機会に書く事にする。
北部タイの労働(下働きをする。)を、補うのはミャンマー人だと聞く。
バンコク方面の労働を補うのは、タイ東北部のイサンからの出稼ぎに来たタイ人と
聞いた事がある。
私達が利用しているタイ店の料理を作ったり下作業等の下働きをする人達は、
ほとんどミャンマー人が働いている。
ワランさんの店は、一人がタイ人で他はミヤンマー人だ。パンさん、ペットさんの店も
みんな下働きは同じだ。
ワランさんは店の前を歩いて行く人の人相だけで、その人の近隣諸国の国の名前を
言う。
日本人が中国人、韓国人、日本人と見分ける事が出来るのと同じ事のようだ。
最近は工事現場の飯場が多数出来て、そこで働いている作業者は、皆ミヤンマー人と
言う。
この近所だけでも、どれだけのミャンマー人がいるかミャンマー料理店も必要になる。
ミャンマー料理は基本的には、中国料理とインド料理の一大食文化圏だ。
それは、タイ料理も同じ事で全てが良く似ている。
只、此処で作られるミャンマー料理が本当か、どうかは小民族が多数、色々な宗教が
絡み使用素材も使うものが強制される。 ここの料理もそんな事を考慮して作られる。
そこの経営者が、どんな人かでミャンマー料理も作るものが変わってくる。
タイ料理もそんな事から作られている。
看板の上の丸文字は、ミャンマー語で書いてある。ミャンマー語は、日本と語順が
同じで馴染み易いそうだ。タイ文字とは、全然違う書体だ。
店の前に屋台が写って要るが、ソムタム(辛い野菜サラダ)屋台で他の店の前に
来て普通に商売をする。
普通に商売をするのでそんなところは日本人の私は理解できない。
ソムタムも色々な種類が有るが、川蟹の入ったものは日本人は食べない方が良い。
一緒に食べても日本人の中には、体に合わず下痢をする人が、必ずと要っていい程
でる。
◎夕飯は『日本のてんぷら』・・・。
この頃、栄子がタイ料理が鼻に付いて来てタイ料理に腰が引けつつある。
タイ食の場合は、タイ独特の料理方法からか、油と香草が混じっているからか、鼻に
つきタイ料理から離れたくなっている。
タイ料理は豚、鶏、海老とトッピングの主材料は変わるが、作る方法には変わりがなく
同じような物になり、朝、昼、夕食とタイ料理を食べるには重いものが有るようだ。
私の場合は何の抵抗もなく約四年、苦にもせずに食べ続けて今からも気にもならない。
そんな事から栄子は朝、昼はワランさんの店には行かず夜だけ食べ行く事にしている。
最近は夕食の時に自分の食べたいオカズを自宅で作り、夕飯の時にワラン店に持ち
込む。
ワランさん親子も、栄子が作って来てくれる日本料理が食べられて大喜びだ。
この日は、朝からリンピンスーパー(日本食材が置いてあるスーパー。)へ行き、
天麩羅にする材料を買いに行く。
レンコン、ごぼう、茄子、ピーマン、人参、さつま芋、海老と一通りの買い物になる。
昼から仕込みに入り夕方から揚げるようになる。
小麦粉に下味のカレー粉を入れて焼酎を少し入れてカラッと揚げる。
自宅の夕方の台所は、夕飯に間に合わすので大忙しだ。
幾種類もの天麩羅が出来上がる。
日本もタイも同じで女性は、さつま芋の天麩羅が大好きだ。
カレー味の天麩羅がワラン家族は大好きで日本のポン酢味で食べると、ワランさん
家族の箸は止まる事を知らない。
アッと言う間に皆の胃袋の中に入る。近所のモンさんも横から箸を出してくる。
ワランさんの旦那のニンプさんは、ワサビがないかと言ってくる。
ニンプさんは、ワサビが大好きで日本料理には、みんなワサビを付けたがる。
栄子もみんなが美味しい、美味しいと言って食べてくれて、夕飯に日本料理の
天麩羅がみんなと一緒に食べられて、今日はタイ食を食べずにすんで、
ホッと一息する夕飯だ。
ー今日は、この辺で。
by dbeiko
| 2007-07-16 16:18